台湾大地震被災文化財保全の状況についての現地レポート  奥村弘
(“史料ネットNews Letter ”No.19より)

 10月14日から17日までの4日間、神戸大学文学部および都市安全研究センターから派遣された調査団の一員として、大地震後の台湾における文化財の状況調査および現地での意見交換のため、現地に入りました。

 私自身は、14日に台北市の孔子廟など文化財の被災状況を調査し、15日に震源に近い台中市および霧峰郷を訪れ、16日には、台北市の国立歴史博物館の被災状況調査および台湾大学での文化財保存についてのシンポジウムに参加し、史料ネットの経験を報告してきました。

 まず全体の被災状況についての感想ですが、日本のマスコミ報道では台湾全島が壊滅的な被害を受けたかのようなイメージがありますが、かならずしもそうではないようです。台北市については、ほとんど大きな被害はなく、倒壊したビルは極めて特殊なものだったようです。ただ広い空間を持つ構造物は、ひびが入ったり、支柱がずれたりしているようで、孔子廟や国立歴史博物館にある清朝の行政庁を模した建物には、そのような被害が見られました。

 台中市では国立台湾美術館の被災状況を調査しましたが、震源に近いだけに、収蔵庫などに大きな被害があり、外壁のタイルもあちらこちらではがれており、建物の真下にいることは危険な状況でした。館では、神戸大学文学部の美術史の大学院生で、かつてこの館にお勤めだった陳日熊さんの案内で収蔵庫を見学し、典蔵組組長の薛燕玲さんと意見を交わしました。収蔵庫内の周密絵画庫は上部が固定されており、かなり損傷が激しかったようです。また和箪笥型の収蔵庫は、引き出しが衝撃で開き、収納物が飛び出るという状況になり、訪問した時には、鍵をかけることができるように改造されていました。大地震後、余震が続いており、そのなかでいかに収蔵品を守るかが極めて重要な課題であるとの説明を受け、日本における展示物や収納庫の免震について意見を聞かれました。

 今回訪れたところで最も被害の大きかった場所は、先述の霧峰郷で、ここには18世紀中頃に台湾にわたり、台湾有数の名望家になった、梁啓超とも関係の深い林家の広大な邸宅があります。長い間荒れていたこの邸宅は、最近になって多くの人の共同作業で修復が進められ、完工に近づいていたのですが、地震によって完全に倒壊、瓦礫の山と化しました。現地では、重要な文化財が盗難にあわないよう、敷地はトタン板でかこまれ、軍隊が常駐していました。また林家のご子孫の高齢の方が、保全のために地震後ずっとその場に常駐している姿が印象的でした。邸宅前の広場は、被災した住民の方々に解放されており、テントが多数見受けられました。

 林家の見学は、現地で文化財保全を進めている台中市東海大学教授、台湾現代史を専攻する劉超 さんの紹介で実現したものです。劉さんは、現地を詳細に案内して下さっただけでなく、台中県全体の建築物を中心に文化財の被害状況について、概略を教えてくださいました。東海大学を中心に、建築・歴史系の人々によって被害調査がすでに行われており、その一覧表を見せていただきました。一覧表には、文化財に未指定のものもあげられており、調査はかなり広範に行われたようです。断層線にそって劉さん自身が撮影された写真を見せていただきましたが、そこでの歴史的建築物はほとんど全壊といってよい状況であるとのことでした。なおこの活動の際、阪神淡路大震災の建築系の活動の総括が台湾で翻訳され、役に立ったとのことです。

 こちらから何か援助ができることがないかと劉さんに聞いたところ、劉さんからは二つの点での協力を依頼されました。ひとつは、文化財を保全し、復旧していくことが震災復興において大切であるという意見を日本から台湾に向けて発信してほしいという点でした。劉さん、それらから劉さんを紹介してくださった東海大学日本学教授の林珠雪さん、通訳をお願いした神戸大学の日本史の大学院生の楊素霞さんらと意見交換を行うなかで、台湾では日本以上に文化財保存について社会的合意が作りにくい状況にあることが私にもおぼろげながらわかりました。

 古い建築物を壊し、新たな市街が次々と建設されており、それを是認する雰囲気が強いことなどは、日本と同様もしくはそれ以上なのですが、それ以外に台湾の特質として、教育の中の「国史」は大陸の歴史であり、台湾各地のことは最近までほとんど教えられないということがあげられます。ここ数年、政治状況の変化の中で、台湾の歴史や文化が学校教育の中に取り入れられ、社会的にも関心が高まってブームになりはじめたところのようです。したがって、地域の文化財を価値あるものとして保全するという点で、日本とはことなる困難があると強く感じました。文化財保全活動に特化したカンパなどについても議論したのですが、被災者の感情からみるならば、なかなか提起しにくいのではというのが劉さんの意見でした。また被災地では行政の文化財担当者が、その保全復旧についてかなり弱気になっているとも述べられました。

 これに関連して第二の要望は、建築物を中心として文化財復旧のための日本の専門家のアドバイスがほしいというものです。林家の場合も同様なのですが、断層近くで倒壊した建物については、もう一度復旧しても、同じような建築ではまた倒壊してしまうので、復旧しても仕方がないという意見が強くあるとのことでした。地震が来ても壊れないような復旧の方法を教えてほしいということを強調されました。この件については、帰国後、調査団団長の神戸大学文学部教授の百橋明穂さんから、東京の国立文化財研究所に伝えていただきました。

 16日の台湾大学でのシンポジウムでは、災害と文化財保全をテーマに、神戸市立博物館での経験を同館学芸員の成沢勝嗣さんが、イタリアでの震災後の文化財復旧について神戸大学文学部助教授の宮下規久朗さんが話され、私は、阪神淡路大震災後の史料ネットの活動について紹介しました。また大阪経済大学助教授の長田寛康さんと神戸大学文学部教授の鈴木利章さんが震災時の大学における対処について話をされました。台湾側からは、台湾大学の教員学生や各地の美術館博物館の館員、政府機関の関係職員など、五〇名ほどが参加されていました。

 私への質問は、余震が続く中どのような形で活動を行ったのか、保全した被災史料はどこにどのように保全したのか、なぜそのように早く活動が開始できたのかなど、現在台湾がおかれている状況と関連する質問が多く寄せられました。震災後の生活復旧の中で、文化財の問題をいかに位置づけるのか、台湾でもこのことが大きな課題となっていることを強く感じました。

 今度の調査を通して痛感したのは、私たちが、欧米の災害や戦災後の文化財保全について情報を集めた以上に、地域的にも近接する日本の例は台湾での震災後の文化財保全に大きな影響を与えていることです。劉さんからは、別れ際に日本で、震災後の文化財保存がしっかり行われなければ、台湾でもいっそうむずかしくなる、ぜひがんばってくださいと、逆に励ましを受けたことは、今も心に残っています。これまで自分たちの活動の国際的な意味を考えたことはほとんどなかったのですが、この調査全体を通して、阪神淡路大震災の持つ、二〇世紀後半における大都市直下型地震としての世界史的な意味をもう一度再認識させられました。

(おくむらひろし、神戸大学文学部助教授、史料ネット代表幹事)

 史料ネットでは台湾での文化財の保全活動に対して、出来る限り支援活動を進めていきたいと考えています。皆さんからの、この問題についての情報やご意見をお待ちしていますので、ぜひお寄せください。(史料ネットe-mail yfujita@lit.kobe-u.ac.jp)


戻る